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東京高等裁判所 昭和33年(う)2290号 判決 1965年5月28日

控訴人 被告人 山中静一 外三名

弁護人 遊田多聞 外五名

検察官 築信夫 外一名

主文

原判決のうち被告人山中静一、同川上大典、同武井実に関する部分および被告人田村忠義に関する有罪の部分を破棄する。

被告人武井実を懲役七月に処する。

同被告人に対し、この裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用のうち、証人松村茂、同渡辺光、同加藤清一、同三上孝治、同村田登および同石川秀雄に支給した分は、同被告人が原審相被告人佐野要助、同勝正、同宮下昇および同木村儀男と連帯して負担すべきものとする。

被告人山中静一、同川上大典、同田村忠義は、いずれも無罪。

本件公訴事実のうち、入札妨害の点については、被告人武井は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人山中静一の弁護人遊田多聞、同篠山千之、同柳原武男が連名で差し出した控訴趣意書、被告人川上大典の弁護人森吉義旭が差し出した控訴趣意書、被告人田村忠義および同武井実の弁護人中村信敏、同北村彌之助が連名で差し出した控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりで、これに対する当裁判所の判断は次に示すとおりである。

被告人山中静一の弁護人遊田多聞・同篠山千之・同柳原武男の控訴趣意第一点および第二点について。

論旨は、被告人山中に対する本件公訴事実は、それが真実であつてもなんらの罪となるべき事実を包含していないから、原裁判所は刑事訴訟法第三三九条第一項第二号によつて決定で公訴を棄却しなければならなかつたのに、これをしなかつたのは、不法に公訴を受理した違法があるというのである。そこで、この点についてまず考えてみるのに、刑事訴訟法第三三九条第一項第二号が「起訴状に記載された事実が真実であつても、何らの罪となるべき事実を包含していないとき」に決定で公訴を棄却すべきことを規定しているのは、右のような場合には、進んで証拠調をしても、結局は被告事件が罪とならないものとして無罪の言渡をするほかないのであるから無意味であることによるのであるが、このように実体の審理に全然入ることなく決定で公訴を棄却するのは、当該公訴事実がなんらの犯罪を構成しないことが明瞭で、争う余地のない場合でなければならない。なぜならば、法の解釈はもとより裁判所が当事者の主張に拘束されることなく独自に行なうものではあるけれども、この点についても問題があるかぎり当事者の弁論を十分に尽させたうえで判断をし、判決でその判断を示すのが現行刑事訴訟法のたてまえだからである。ところで、被告人山中に対する本件公訴事実については、当裁判所もまたのちに説明するようにこの事実は刑法第九六条の三の罪を構成するものではないと解するのであるが、この点の解釈に関しては従来上告審の判例も明らかでなく、現に原審においては検察官の解釈と弁護人側の解釈とが対立していたのであるし、原裁判所が結局これを有罪と判断した事実からさかのぼつて考えてみても、決してその解釈が一般に明瞭で当事者の口頭弁論を聴くことなく決定で公訴を棄却するような状態にあつたものということはできない。それゆえ、原裁判所が本件公訴を受理し実体の審理に入つたことはまことに相当だというべきで、この点に関する論旨は理由がないといわなければならない。

被告人山中静一の弁護人遊田多聞・同篠山千之・同柳原武男の控訴趣意第四点、被告人川上大典の弁護人森吉義旭の控訴趣意第一点、被告人田村忠義・同武井実の弁護人中村信敏・同北村彌之助の控訴趣意第二の第一点について。

論旨は、要するに原判示第一、第二、第三、第四、第六、第七の各事実は刑法第九六条の三第一項の罪を構成しないのに、これを同条項に該当するとした原判決は法令の適用を誤つたものだというのである。

ところで、まず、中村・北村両弁護人の控訴趣意第二の第一点(一)は、刑法第九六条の三第一項の「公ノ入札」は一般競争入札だけを指し指名競争入札を含まないと主張するが、この主張の理由のないことについては多く説明する必要はないと思われる。およそ入札とは、契約の内容(たとえば価格)について二人以上の者を競争させ、原則として最も有利な申出をした者を相手方として契約を締結する競争契約であつて、文書によつてその申出をするものをいうのであり、入札施行者にとつて最も有利な契約内容を見出すため入札者をして自由競争をさせる契約締結の方法を指すのであるから、その点においては、競争者の範囲を限定しない一般競争入札とこれを指名された者だけに限定する指名競争入札との間になんら差異はなく、またその公正を確保する必要性も全く同一なのである。いいかえれば、一般競争入札も指名競争入札も入札の一態様にすぎないのであつて、特に指名競争入札をこれから除外する理由は発見することができない。刑法第九六条の三第一項の「公ノ入札」に指名競争入札を含まないとする所論は、その文理からみても、事の実質からいつても、理由がないといわざるをえないのである。

次に、論旨は、いずれも、本件においては公の入札が存在しなかつたのだから刑法第九六条の三第一項のいわゆる入札妨害罪は成立しないと主張するので、この点について考えてみるのに、まず、同条項の規定する「公ノ入札ノ公正ヲ害スヘキ行為」は「公ノ入札」が行なわれることを前提としているものと解しなければならない。なぜならば、公の入札の存在しないところにその公正を害すべき行為が行なわれることはありえないし、そもそもこの規定は、公の競売または入札は公正に行なわるべきものであるのに、偽計または威力というような不正な手段によつて公正を欠く競売または入札が行なわれるが、あるいは現にその公正が害されないまでも害されるおそれのある場合にこれを処罰しようとする趣旨のものだからである。もちろん、この規定の究極の目的とするところは、国または公共団体がその条件において適正な契約をするところにあるのではあるけれども、これを害しまたは妨げる行為がすべてこの規定に該当するわけではなく、この目的のために競売または入札という方法がとられた場合にその公正を害することによつて前記の目的に反したときだけがこの規定の対象とされているのである。それゆえ、国または公共団体の適正な契約締結を害しまたは害するおそれがある行為をすべてこの規定の罪にあたるとするのは、明らかにその規定の趣旨に反し、不当に解釈を拡張するもので、許されないところだといわなければならない。たとえば、国または公共団体において、契約を締結するためには競争入札の方法によるべきこととなつている場合に、それ以外の方法たとえば随意契約もしくはこれに類する方法をとつたときのごときは、結局においては国または公共団体にとつて最も適正な契約内容を見出そうとする制度の趣旨に反し、これに不利益を与える点において公正ならざる入札が行なわれた場合と多く選ぶところがないとしても、それは当該公務員の任務違背の問題として処理せらるべきもので、前記罰条の適用外の問題だといわざるをえない。また、国または地方公共団体において入札を行なおうとしているのに、偽計または威力をもつてこれを施行させなかつた場合も、公務執行妨害罪その他の罰条に該当することは格別、刑法第九六条の三第一項の予想するところではないのである。

以上述べたように、刑法の前記条項の罪の成立には公の入札が行なわれることを必要とするのであつて、このことは原判決もまた前提として認めているところであり、原判決後になされた昭和三六年五月四日の東京高等裁判所第三刑事部判決(東京高等裁判所判決時報一二巻五号刑五九頁)もまたこの罪の成立には公の入札の存在することが必要だと説示しているのである。それゆえ、本件における問題は、はたして入札が行なわれたといえるかどうかにあるわけであつて、次にその点を考察してみなければならない。

この点に関し、前記東京高等裁判所第三刑事部判決は、「公の入札の存在するものと認め得るには国または公共団体の正当な権限を有する機関によつて適法に競争入札に附すべき旨の決定のなされたことを必要とし、且つそれを以て足る」と説示し、かつ「若し、右機関において真実入札手続をする意思がなく、実際は特定の業者と随意契約するものであるに拘らず入札手続を偽装する目的で入札に附する旨の決定をした場合においては、入札妨害の対象となるべき公の入札そのものが存在しないことゝなり、これに対し入札妨害はありえず、同罪の成立する余地はない。」とした。しかしながら、権限ある機関により入札に付すべき決定のなされることは、入札を行なうための官公署における事務上の手続としてまず第一に必要なことではあるが、それは官公署の内部における意思決定にすぎないのであつて、競争入札の手続そのものだとは必ずしもまだいい難いばかりでなく、このような決定がなされたとしても、なんらかの理由でそれが実施されなければ、やはり入札は行なわれなかつたというほかないのである。ただ、入札に付すべき旨の決定がなされているのにそれが部下の者によつて実施されないというのは通常は考えにくいところで、多くの場合は上司である決裁者が入札手続の行なわれないことを了解しつつ決裁を与えたようなときにかような事態が生じやすいというにすぎない。前記判決の説示の後段はこのような場合のことを述べたものと解されるが、しかし、問題の要点はあくまで入札手続が現に実施されたかどうかにあるのであつて、どのような決定がなされたかにあるのではないと考える。(「入札妨害罪」という実務上用いられる罪名から連想されるように入札の施行を妨げることがこの罪の内容をなしているのならば、入札に付する旨の決定の存否またはその内容が重要な意味をもつことになろうが、実は入札の公正を害することがその内容なのであるから、前にも説明したように、入札手続そのものが行なわれたかどうかが重要だといわなければならない。)

ところで、原判決は、「東京都の行なう指名競争入札或いは随意契約は、一つの法律的な手続であるから、一定の売却につきそのいずれによつて処理がなされたかは、権限ある部局長がどのような決定をしたか、実際の手続がどのような形式に従つて行なわれたかを客観的に考察して判断すべきである。」としたうえ、第五の事実を除く原判示各事実についていずれも指名競争入札が存在したものと判断しているのであるが、その根拠としては、(一)本件各物件売却の事務処理の権限を与えられた東京都の部局の長が当該物件の売却につき指名競争入札に付する旨の決定をしたこと、そして、その際同人らにおいて関係者が当初から特定の業者に落札を得させる目的で公正な自由競争を行なわせないようにする手段を講じていることを知悉していた事実は窺えないではないが、本件物件を特定の業者に払い下げるべき旨を職務上命令した事実は認めるに足りず、まして随意契約により売却すべき旨を命じた事実は全く認められないこと、(二)原判示のように原審相被告人西村房之介(第一の事実)、同小役丸進(第二の事実)、同佐藤義太郎(第三、第四の事実)、被告人川上(第六の(イ)、第七の事実)が入札書を集めてこれを担当の吏員に提出し、最高額の入札書の名義人に対して契約が締結されていることを挙げているのである。しかしながら、右のうち(一)の指名競争入札に付する旨の決定のなされたことは、すでに説明したように、それだけで当然に指名競争入札が行なわれたことの根拠となるものではない(のみならず、その決定(決裁)の際当該部局の長において原判示のような手続がなされることを知つていたことが窺われることは原判決の判示するとおりであるし、むしろ一件記録に現われたところを総合すると、当該部局の長であつた者自身としては極力そのことを否定はしているものの、本件の各物件売却に関し部下の吏員に対して暗に特定の業者に払下げがなされるように指示した疑いはかなり濃厚で、もしこのような指示がなされていたとすれば、実質的にみて指名競争入札に付する決定があつたといえるかどうかも疑問となるし、部下の者がその趣旨に従つて実際は入札手続を行なわず書類上でだけこれを仮装するということも容易に考えられるのである。)。それゆえ、問題はこれに引き続いて入札手続がはたして行なわれたかどうかという点にあるのであるが、本件では原判示のように入札書が関係部局に提出され、その最高額の入札書の名義人がその価格で落札した旨の開札結果調書が担当吏員によつて作成され決裁を経ている事実はいずれも認められるけれども、これらの書面はあたかも真に指名競争入札が行なわれたもののように作為するだけのために作成されあるいは提出されたものにすぎず、現実には入札手続が行なわれないこともありうるのであるから、これだけではいずれとも断定するわけにいかず、さらに進んで実際に入札と目すべき行為が存在したかどうかを考察してみる必要がある。ところで、入札行為が存在したといいうるためには、もとよりそれが正規の方式にすべて適合していることまでを必要とするものではなく、またその実質が公正で真の競争に値するものであることも必要としないのであるが、少くとも入札というに足りる一定の外形を具えた行為が存在していることは必要だといわなければならない。その点について本件では、所定の入札日に入札者をして入札箱に入札書を入れさせたうえ開札をするという正規の手続は全く行なわれていないけれども、ともかく入札書は担当吏員の手もとに提出され、その最高額の入札者が落札者とされているのであるから、一見入札と称すべき行為が行なわれたようにもみえないではない。しかしながら、そもそも入札は競争契約の一つの形態であり、そのうちで競争に加わる者をして契約の内容を文書で表示させる方法によるものをいうのであつて、その点が口頭によつて競争するせり売りと異なるところなのである。そして、これを文書によつて表示させるのは、各競争者の表示する契約内容が他の競争者に知られないようにするためにほかならず、この契約内容の表示の秘密性こそまさに入札が他の競争契約と異なる本質的な要素だといわざるをえない。それゆえ、契約内容の申出が入札といいうるためには、その申出が文書によつてなされることはもちろん、その文書の内容が他の競争者に知られない形で提出されることを必要とし、もしこの要件を欠けば、その申出はすでに外形的にも入札とは目することができないのである。入札の方式として、各入札者が入札書の内容を他の入札者にわからないようにしてそれぞれ入札箱に入れるという方法が確立していることも、この点にかんがみてまことに理由があるといわざるをえない。ところが、本件では、このような方式によらなかつたことは前述のとおりであるうえに、原判決が判示するように、入札書はあらかじめこれを取りまとめ一人の者が一括して都庁に持参して担当吏員に直接手渡したというのである。これは、右に述べたところから考えて、外形的にも入札とはいえない行為だといわなければならない。もともと、このようなことが行なわれたのは、すでに担当吏員を含めた関係者の間で特定の業者に物件を売却することの了解ができていて、外形的にも入札の方法をとる必要が全くなかつたからであり、本件においてその他入札手続に際して通常とられる手続が全く行なわれていないことも、関係者の間に形式的にもせよ入札を行なう意思が全然なかつたことを物語るものであつて、ただ、会計に関する規定によつて競争入札によらなければならない場合であつた関係上、書類の上では指名競争入札が行なわれたことにしておく必要があり、そのために入札書を差し出させたものと認められるのである。(この入札書が全く形式的なものと考えられていたことは、架空人名義のものもあり、また名義人が契約内容を白紙にして関係者に手渡したものが多いことからも窺われる。)。そこで、以上の事実から判断すると、これらの場合、書類の上では指名競争入札が行なわれたようにはなつているものの、実際においては入札としての要素を具えた行為は全く行なわれておらず、物件売却の契約は事実上は随意契約に類する方法に基づいてなされたとみるほかはない。

かように考えてくると、これらの場合における被告人らの行為は、指名競争入札によるべき場合に単にこれを仮装しただけで実際は別の方法によつたという点で責めらるべきものがあることはもちろんであるけれども、公の入札手続が存在しなかつたのであるから、その公正を害する行為をしたということはできず、本件の訴因とされた刑法第九六条の三第一項の罪を構成するものではない。したがつて、原判決が原判示第一、第二、第三、第四、第六および第七の各被告人の所為を有罪とし、これに刑法の右各条項を適用したのは法令の適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明白であるから、この点の論旨は理由がある。

被告人武井実の弁護人中村信敏・同北村彌之助の控訴趣意第一の第一点について。

論旨は、原判決が弁護人の主張に対し判断を示した部分において、原判示第五の談合の事実に関し、一方において「指名競争入札にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して実質的に指名競争を有名無実ならしめた」としながら他方において指名競争入札が存在したとし、また談合とは応札者たる部外の者相互の間の協定を指すものだと解すべきであるのに、右のように入札事務担当吏員もまた部外の者と通謀したと説示しながら被告人武井らの行為を談合だとしているのは、いずれも判決の理由にくいちがいがあるものだというのである。しかしながら、原判決中の弁護人の主張に対する判断の項をよく検討してみると、原判決が所論のように担当吏員の通謀について説示している部分は原判示第五の談合の事実以外のいわゆる入札妨害の原判示事実だけに関するものであつて談合の事実に関するものでないことはおのずから明らかで、そのことは、原判決が入札妨害に関する罪となるべき事実の中で担当吏員の部外の者との通謀を認定判示しているのに対し、第五の談合の罪となるべき事実としてはなんら担当吏員の通謀につき判示していないことによつても裏づけられるのである。したがつて論旨は原判決の説示の趣旨についての誤解に基づくもので、採用することができない。

同第二点について。

論旨は、原判示第五の毛布の購入は随意契約によつてなされたもので、指名競争入札によつたのではないから、談合罪成立の余地はなく、したがつて被告人武井実の原判示第五の(イ)の所為に刑法第九六条の三第二項の規定を適用した原判決は法令の適用を誤つたものだというのである。

そこで検討してみるのに、なるほど刑法第九六条の三第二項の談合罪の成立には公の競売または入札が行なわれたことが前提となることは所論のとおりである。したがつて、もし原判示第五の毛布の購入が随意契約によつてなされたものであるならば、談合罪の成立することはありえないといわなければならない。それゆえ、この場合毛布の購入が原判示のように指名競争入札によつたものか所論のように随意契約の方法によつたものかを考察してみると、まず、論旨は、本件の毛布購入については東京都財務局において丸一株式会社から随意契約の方法で購入することが決定されたと主張するのであるが、原判決が証拠として挙示している東京都財務局経理部用品課昭和二九年度繊維関係原議綴(当裁判所昭和三三年押第八四六号の二)の中の「毛布五、〇〇〇枚の購入について」と題する伺書によれば右の毛布を指名競争入札によつて購入することに決裁がなされていることが明らかであつて、のちに説明するようにその後現に指名競争入札の手続が行なわれていることからみても、財務局としては指名競争入札に付すべき決定がなされたことは明白だといわなければならない。随意契約の方法によるか指名競争入札の方法によるかはもつぱら手続の形式の問題であつて、それらの方法が実質的に適正に行なわれるかどうかということとは別であるから、かりに右の意思決定をした機関において談合等の不正な方法で特定の業者が落札するであろうことをあらかじめ察知し予見していたとしても、そのことによつて右の決定が性質を変じて随意契約によるべき決定となるわけのものではないのである。次に、論旨は、本件において入札・開札の手続が行なわれた事実は争わないが、それは外形的なものにすぎないのであつて、本件の場合は入札施行者においてはじめから契約の相手方を決定しており、自由な競争による入札によりこれを決定する意思を有していなかつたのだから、この手続は入札とはいえない、とも主張する。しかしながら、すでに原判示入札妨害の各事実についての控訴趣意に対する判断の中でも述べたように、入札手続が行なわれたかどうかは、いわば外形的に入札たるの要素を具えた行為がなされたかどうかによつて判断さるべきことで、かりに談合その他の不正の行為によりその入札が自由競争の実を失つた不公正のものとなつた場合でも、そのためにそれが入札手続でなくなるものではないのである(もしそのように考えないとすれば、不正な談合の行なわれた場合のように、入札前にすでに落札者が事実上決定していて自由競争の実を失つている場合には、入札そのものが存在しないことになり、談合罪の存在自体を否定することにならざるをえない。)。そして、このことは、入札施行者の側において談合の行なわれることを察知し、さらに進んで特定の落札者を予期していた場合でも同じだといわなければならない。けだし、公の入札が行なわれたかどうかは前述のとおり外形的・客観的にこれを観察して決すべきもので、かりに入札施行者の側の関係公務員が談合の行なわれる情を知つていたとしても、客観的にみて入札手続であるものがその性質を失ういわれはないからである。もとより本件において、原判示のような談合の行なわれることを財務局の側で察知していたということは証拠上これを断定するのに十分でないのであるが(いわんや所論のように通謀した事実は本件に関するかぎり認められない。)、かりにこれを察知していた事実があるとしても、右に述べた理由によつて入札手続の存在を否定することはできないのである。そして、本件の場合は、入札妨害として起訴された他の事実の場合と違つて、事前に入札者に対する説明会を開き、入札の当日には所定の方式に従つて入札および開札がなされたのであるから、まさしく指名競争入札の手続は行なわれたとみなければならない(ちなみに、本件公訴事実の内容となつている各契約のうちこの毛布の購入の場合にだけ正式に入札手続が行なわれたのは、この場合には他の場合と違つて原局である民生局が契約事務を担当せず、本来これを担当すべき財務局が担当したためだと認められるのであつて、したがつて、他の契約の場合に入札手続の存在を否定しながらこの場合にだけこれを認めることは、なんら矛盾するものではない。)。そうであるとすれば、このことを、前提として原判決がその判示第五の事実につき刑法第九六条の三第二項の談合罪の成立を認めたのは正当であつて、なんら法令の適用に誤りがあるとはいえない。それゆえこの点の論旨もまた理由がない。

以上に説明したとおり、被告人武井実に関する原判示第五の(イ)の事実に関する弁護人の論旨は理由がないが、各被告人のその余の原判示事実に関する法令の適用の誤りを主張する論旨は理由があり、かつ被告人武井については、前記原判示第五の(イ)の所為と第六、第七の各所為とを併合罪として一個の刑が言い渡されているので、結局被告人全部についてその他の控訴趣意につき判断するまでもなく、刑事訴訟法第三九七条第一項・第三八〇条により原判決(被告人田村忠義についてはその有罪部分)を破棄することとし、同法第四〇〇条但書を適用して被告事件につき当裁判所においてさらに判決をすることとする。

被告人武井実につき原判決が確定した原判示第五の(イ)の事実に法律を適用すると、同被告人の所為は刑法第九六条の三第二項(法定刑につき同条第一項・罰金等臨時措置法第三条第一項第一号)に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で同被告人を懲役七月に処し、情状により刑法第二五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法第一八一条第一項本文・第一八二条を適用して、主文第四項に記載したとおり訴訟費用を同被告人に負担させることとする。

次に、被告人山中静一、同川上大典、同田村忠義および同武井実に対する本件入札妨害の公訴事実(被告人山中については原判示第一、第二、第三、第四、第七の事実に対応するもの、被告人川上、同田村、同武井については原判示第六、第七の事実に対応するもの)については、すでに説明したとおり刑法第九六条の三第一項の罪を構成しないものと判断されるので、被告事件が罪とならないものとして各被告人に対し刑事訴訟法第三三六条前段により無罪の言渡をすることとする。

(裁判長判事 新関勝芳 判事 中野次雄 判事 伊東正七郎)

弁護人遊田多聞外二名の控訴趣意

第一点原判決には、不法に公訴を受理した違法(刑訴法三七八条二号)があり破棄さるべきである。

一、検察官は被告人山中は、刑法九六条ノ三に当る行為をしたとして訴追しているのであるが、その公訴事実は山中被告が課長としてなした指名競争入札に関連して偽計を用い、その入札の公正を害すべき行為をなしたと言うに尽きるのである。

しかし乍ら、山中被告は右入札の直接責任者であるから、刑法の右条項により処罰することは許されず、公訴事実が真実であつても何ら罪となるべき事実を包含していないもの(刑訴法三三九条一項二号)と言うべきであるから、原審裁判所は、本件公訴を決定で棄却しなければならなかつたのである。

二、本件において指名競争入札の直接責任者たる課長が刑法九六条ノ三の処罰の対象となるや否やを考察すべきであり、それには先ず右条項の立法の趣旨及び規定の位置に重点を置かなければならない。

(1)  本条の制定の動機は何であつたかというに、立法当時は、日本は戦時体制下にあり、所謂談合は解釈上詐欺罪を構成するや否やということが論争され、他面談合の弊害が国策の推進上障碍となるものとして痛感されるに至つたので、右の解釈上の論争に終止符を打ち、立法的解釈をはかるにあつたのである。

政府案として議会に提出されたものは、

第九十六条ノ三 偽計若クハ威力ヲ用ヒ又ハ談合ニヨリ公ノ競売又ハ入札ノ公正ヲ害スベキ行為ヲ為シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金ニ処ス

と言うのであつたが、審議中に現行法の様に談合罪を二項に移し修正可決され、昭和一六年法律第六一号として公布されたものである。従つて学説判例(例えば福岡高裁二九年一一月三〇日判決)は政府案と現行法とは二項に分れただけで趣旨は同一であると解しており、立法の趣旨乃至主目的は、談合行為及び之に類似する行為の処罰にあつたと言うも過言ではないのである。

(2)  次に本条は刑法各則中如何なる位置にあるかを見るに、本条は、刑法第二編罪、第五章「公務ノ執行ヲ妨害スル罪」の章下にあり、広義の公務執行妨害罪の一つを成している。

広義の公務執行妨害罪は「国家の機関である公務員に対して行なわれるものであるが、国家はその権力を行使する為め国家の直接又は間接の機関である公務員をして之を実行せしめる。従つて公務員の職務執行を妨害するは即ち国家の権力そのものに対する侵害に外ならない」(永井勘太郎詳解刑法各論二頁)し、「公務執行妨害を罰する理由は、公務員によつて実現せられる国家の機能を保護するためである」(瀧川幸辰刑法各論二六六頁)とも言えるわけである(小野清一郎新訂刑法講義各論一八頁、江家義男刑法講義各論一八頁等参照)。即ち第五章下の規定は、公務員によつて実現される国家の権能を保護法益とし、直接には職務を執行する公務員に対する妨害行為を国家の権力に対する侵害として処罰することになるのである。

右の理論を本条に適用すれば、入札乃至競売の職務を執行する公務員以外の者が妨害行為をした場合に、本条の適用があるのであつて、その公務員が本条により処罰されると言うことは到底考えられないと言わなければならない。

(3)  最後に本条のみについて検討を加えよう。

本条を素直に読めば、競売又は入札の施行責任者たる公務員(以下入札施行者という)に対し、入札に参加した者及びその他の者(以下入札参加者という)が妨害行為をなした場合に之を処罰しようとしていることは明白であるのみならず、本条により仮に入札施行者を処罰しようとするには、検察官主張の如く、入札施行者が偽計を用いて入札の公正を害すべき行為をなしたとする外はなく、如何なる牽強附会の論者と雖も、入札施行者が威力を用い又は談合したとして本条により処罰することは恐らく躊躇するであろう。即ち本条が入札施行者にも適用になると考えるならばそれは偽計を用いた場合のみに限らなければならない。すると、同一条下の犯罪について、威力を用い又は談合した場合には入札参加者側のみを処罰し、偽計を用いた場合には入札参加者側のみでなく入札施行者をも処罰すると言う結論にならざるを得ないのである。一体此の様な解釈が刑法上許されるであろうか。若し許されるとすれば同一の字句について、二様の犯罪形態を認めなければならないことになるのである(此の場合入札施行者の犯罪形態と入札参加者側の犯罪形態とが異なることは容易に認めうる処である)。検察官の解釈が誤りであることは此の点のみでも明白である。

我が憲法は、罪刑法定主義を認めている(三一条及び三九条)。罪刑法定主義は刑法各条の拡張解釈の禁止をも含むことは諸学者の認める処であるから、本条を拡張解釈して入札施行者をも罰することは、憲法三一条及び三九条にも違反すると言うべきである。

以上何れにしても入札施行者が本条の処罰でないことは明瞭であり、山中被告を本条により訴追することは、立法の趣旨に反し且つ本条の解釈上も許されないのである。

三、東京都庁における課長の職務は次の如くである。東京都庁の局長、部長、課長はいずれも知事の権限に属する事務を分掌する職務をもつて居り、そのうち課長は最下級に位する職である。局長、部長、課長等はその分掌に応じ、具体的案件に付き知事の意思を構成し又は之を外部に向つて実行する任務に当るが、そのいずれの場合に於ても、知事の権限の委任を受けて行動するわけではない。単に補助機関として、即ち知事と云う大きな機関の一部として、知事の意思を構成し又は実行するにすぎない。課長の職務は、その働きの範囲に於て最も狭く、決定力に於て最も弱いが、その本質が知事の権限に属する事務の分掌たる点に於ては、局長、部長のそれと何等異なるところはない。都庁処務規定(昭和二七、一一、訓令甲八九)は局長(四条)部長(五条)課長(六条)を通じ局、部、課の「事務をつかさどり、所属職員を指揮監督する」と同一の語を以て規定して、その職責の同質なることを示している。

決定せられたる知事の意思の表示は通常文書課が担当するが、特別の場合は事務の主管課が直接之に当り、知事の意思の決定があればその実現は直ちに課長の分掌に帰する。入札の施行は此の特別の場合に当るのであるが、抑々入札伺を立案し、契約書を交換する迄の手続が知事という大きな機構の行なう一個の行為であつて、その過程に於て自治法規に違反する手続が行なわれたとしてもそれは自治行政機構内部に於て処理すべき訓令違反の問題であつて刑法の干渉すべき問題ではない。

都庁の事務処理の組織は所謂課長中心主義によつているものと解せられる(処務規定三〇条)。その主眼とする所は、総ての事務は必ず主管課長の処理を経由しなければならぬと言うことであつて、仮令主管の局長、部長と雖もみだりに主管課長の職務(分掌)を奪うことはできない仕組になつている。

斯様に課長の職務は東京都庁組織規程(建設局は第七条)及び東京都庁処務規程(課長は第六条)の規定により明確に規定されているので、たまたま問題になつた案件が局長の専決事項に属するからと云つて課長はその事務の責任者でないと言うことはできぬ。検察官は本件についての入札責任者には用度課長たる山中被告は含まぬと主張する。責任者と云う語は不明確な語であるが多分職務に伴う責任と云う程の意味であろうが若し然りとするならば用度課長はその主管する入札については職責なく公務員犯罪を犯すことはないと云う不思議な結果を来すのではあるまいか。検察官の主張は、入札責任者は知事なりとすることにある様であるが、一千万円未満の入札については、知事は決裁もしないし、事後の報告も受けない。従つて被告事件五件の入札については、知事の責任は政治責任であつて、刑事法上の意味に於ける責任者は局長、部長、課長である。又検察官は建設局長が知事の委任を受けて決裁すると主張するが、局長の専決は知事の意思構成の一態様であつて、局長が専決すると言うことは、脳のどの部分が意思構成の任に当るかと言うことと同様である。局長の専決が行政行為として表示されるときには知事名で表示されるのであつて知事代理局長名で行なわれるのではない。決裁区分と云うものは委任関係とは全然別個の問題であつて、検察官の主張は誤りである。従つて山中被告が本件各入札の施行責任者であつたことは明白である。

四、原判決は、本条が宛も知事、東京都議会、監査委員等の公務執行の保護迄も規定しているものであるかの如き判示をしている(偽計の対象として広く解している)けれども、本条をそこまで拡張して解釈することは到底許されないものと言うべきである。原判決は何が本条の保護対象たる公務執行行為であるかと云う点についての考察を怠つたものと云わなければならないのである。

五、以上要するに原判決は刑法第九六条ノ三の解釈を誤り、ひいては不法に公訴を受理したものであるから破棄さるべきものである。

第二点原判決は次の理由によつても不法に公訴を受理した違法があり破棄さるべきである。

一、本件起訴事実は、山中被告が他の者と共謀し刑法第九六条ノ三(以下本条という)に当る行為をしたと言うに尽きるのであるが、検察官は、右の山中被告の犯罪行為に関連し本件各入札は仮装されたものであると釈明した(三一年九月一一日公判)。

然るに本条の処罰は公の競売又は入札が、現実に施行され、その現実に行なわれた公の競売又は入札を威力、偽計、談合等の方法により妨害することによつて始めて行なわれると解すべきであるから、公の競売又は入札が無かつたことを前提とする本件公訴事実は、仮にそれが真実であつても何ら罪となるべき事実を包含していないので、原裁判所は本件公訴を決定で棄却しなければならなかつたのである。

二、検察官は、本件につき都庁として一旦指名競争入札に付する旨の決定があつた以上、その入札が施行された如く仮装するときは、本条の罪が成立するものと主張し、原判決も之を是認しているかの如くである。しかし乍ら本条は国家又は公共団体による公正なる入札の施行を保護法益としているものであるから、その入札が仮装のものである場合に迄も拡張して適用することは行き過ぎである。

更に検察官は「本条に云う入札は着手のある入札手続だけでなく現に着手されんとしている入札手続或は接着した時期に行なわれることが期待されている入札手続を含むものと解するのが立法趣旨にも合致し妥当である」と主張する。然し乍ら本条の立法の趣旨(第一点参照)、入札制度の本質に関する学説、本条二項の談合罪に関する判例の趣旨並びに本条の罪には未遂罪の規定がない点等を綜合すると右の如く「入札」を広義に解することは妥当でないことが明瞭である。本条の適用は飽く迄も具体的な特定の公入札手続があつた場合のみに限ると解するのが正当と信ずる次第である。

三、次に仮に検察官の主張及び原判決の判断が正しいとしても本件に関しては、入札に付する旨の決定はなかつたと云うべきである(第六点事実誤認参照)。従つて山中被告を本条により処罰することは不可能である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

弁護人中村信敏外一名の控訴趣意

第二の第一点原判決には法律の適用を誤り罪とならざる事実を有罪にした違法がある。

(一) 原判決は法第九六条の三第一項の公入札は指名競争入札を含むと解しているがこれは誤解である。その理由は(イ)会計法第二九条並びにこれを基本法とする法令は何れも一般競争入札を原則として指名競争入札と随意契約を例外としており、しかもこの両者を同列に置いている。即ち同条は

「各省、各庁において売買、貸借、請負その他の契約をなす場合においてはすべて公告して競争に付さなければならない。但し各省、各庁の長は競争に付することを不利と認める場合その他政令で定める場合においては政令の定むるところにより指名競争に付し又は随意契約にすることができる」

と規定していること、(東京都契約事務規則並びに同都水道局財務規程も同趣旨)(ロ)又指名競争入札が注文者側の評価に基づいて契約の相手方として妥当であると認められたものを指名して行なうものだから、一般的にいつて競争入札の目的とする適正価格による契約を結び得る可能性多く、従つて入札の公正を害するおそれが少ないと考えられるのみならず、若し公正を害することがあつても極めて軽微であること、(ハ)又本条の立法趣旨が立法当時貴族院において政府委員三宅正太郎氏が「簡単なる入札妨害までも重い刑で以つて臨む訳には行きませぬので九六条の三に規定致しました所は入札妨害等の最も情状の悪いものを取り上げた」(貴族院刑法中改正法律案特別委員会議事録中政府委員三宅正太郎発言)と説明した如く本条第一項の解釈は相当厳格に解せねばならぬものであること等を綜合して考えると本条の公入札とは一般競争入札だけを指すのであつて指名競争入札は含まれないと解する。

(二)(イ) 仮に刑法第九六条の三の公入札に指名競争入札をも含むとしても本件は犯罪の客体である公入札が存在しないのに原判決は存在するとして本条を適用した。即ち原判決は第六については水道局経理部長上原銀次郎が本件の鉄屑百トンを指名競争入札により売却する旨を決定しており第七については建設局長坪田正造が本件の古アスハルト空罐等屑鉄二九一、七トンを指名競争入札により売却する旨を決定しており、しかも上原、坪田両名はいずれも決定権限のある部局長である。しかして被告人らが入札書を集めてこれを担当の吏員に提出し、最高額の入札の名義人に対して契約されているから指名競争入札が存在するというのである。原判決は刑法第九六条の三に謂う公入札の解釈を誤つている。弁護人は公入札が存在すると認められるためには入札の本質から云つて次の要件が必要とすると解する。

入札の本質は何かというと注文者が互に競争する多数人に、他の競争者が表示する内容を知らさないで文書によつて意思を表示させ、最も注文者に有利な内容を表示する者を選んで契約の相手方とするにある。この本質から左のような手続が必要となつてくる。これを東京都契約事務規則に例をとると(同都水道局財務規程も同趣旨)先ず注文者が指名競争入札に附する意思決定をすると、

(a) 相手方の指定(第三〇条二項)

(b) 入札者に対する必要事項の予告(第三一条)

(c) 入札者の保証金の納付(通則第七条)

(d) 入札方法の指定(通則第一一条、第一二条)

(e) 入札予定価格の決定(第一三条)

(f) 入札(第一四条)

(g) 開札(第一五条)

(h) 落札者の決定(第一九条)

(i) 落札の通告(第二〇条)

(j) 契約の締結(第二一条)

等の手続を行なうことになつている。

これは競争入札が契約に関する手段として、契約の両当事者であるところの注文者と互に競争する複数の入札者との対立存在を前提とするからである。しかして刑法第九六条の三は公入札の公正を害する行為を処罰するものであつて入札制度を保護するものでないということは異論のないところであるが、その法意などを併せ考えると入札が存在するというがためには

(a) 注文者の入札に付さんとする意思

(b) 複数入札者の入札に参加せんとする意思

(c) 及び両当事者の相互的行為

を意味するものと解すべきである。

しかしてこれらの意思並びに行為は真意でなければならぬことはいうまでもない。従つて相手方に何等の影響を及ぼさない各当事者の内部的意思決定或は内部的行為にすぎないものは所謂入札の範囲に入らないものといわねばならない。されば原審検察官の「本件は部局長である上原銀次郎或は坪田正造が指名競争入札に付する旨を決定しているのだからそれだけで公入札が存在する」という主張は採用できないし又原判決の上原、坪田両名が指名競争入札に付する旨を決定しており、更に被告人らが入札書を集めてこれを担当の吏員に提出し、最高額の入札書の名義人に対して契約されているから公入札が存在するという所論も被告人らが入札書を集めて担当の吏員に提出したのは入札に参加せんとの真意に出たものではなく又形式的にも全く所謂「札を入れる」行為も存在しないことは原判決も認めているところであるから正当ではない。

原判決が被告人らが入札書を集めてこれを担当の吏員に提出した手続が有名無実なものであつても入札手続として認めることに何等支障がないとしたのは誤解である。

これを要するに本件は東京都側の指名競争入札に付する旨の内部手続があつたにすぎないと認むべきであるから公入札は存在しないと解すべきである。況んや上原、坪田両部局長において被告人らが担当吏員と相計つて指名競争入札を行なわずして特定業者を契約する事実を知悉していたと窺われる本件においてをやである。

(ロ) 次に入札が存在するというには注文者の入札に付さんとする意思が第一要件であることは前述のとおりであるが注文者とは、本件の場合何人を指すかということである。入札が当事者間の相互的行為であるという点から考えて当事者たる入札者側からみて注文者の意思を表示するものと解せられる。即ち現実に注文者側の意思表示をなすものと解するのが相当である。契約締結の名義人とか内部的に意思決定する人と解するのは妥当でない。隠された意思は相手方当事者には何等の影響がないからである。右理論の裏付けとして契約の締結と刑法第九六条の三にいう公入札とは別個であると考えねばならぬ、公入札は契約締結のための方法手段にすぎないものであつて、恰も随意契約における両当事者の交渉段階に該当する段階なのである。右のように解すると本件の注文者は判示第六の場合は水道局経理部用度課長山岸反一以下であり第七の場合は建設局総務部用度課長山中静一以下の現実に入札を担当する者を指すべきである。同人等は何れも被告人らとは共謀関係にあつて本件物件の売却につき指名競争入札に付する意思がないのであるからこの点からも本件は公入札存在せずと解すべきである。

(三) 原判決は前述の如く被告人らが競争入札の意思のない業者名の入札書を入手し、これに金額を記載して担当の吏員に提出した行為を本件の法益である公入札構成の要件としている。しかるに他面この行為を「被告人らが判示のように競争入札の意思のない業者の白紙の入札書を入手し、これに勝手に金額を記載して提出し、現実に入札の手続が行われないのに適式な開札手続が行なわれたかのような書面を作成する等の行為はすべて偽計ということができる」と判示して犯罪行為の一部とみておりその立論正当でない。

弁護人中村信敏外一名の控訴趣意

第一の第一点原判決の理由にくいちがいがあることが明らかである。

原判決は弁護人の主張に対する判断の項第一の後段において「本件判示第五の談合の事実についても、関係弁護人らは、本件毛布の購入につき指名競争入札は存在しないと主張しているが、この理由のないことは、上に述べたところから明らかである。特に、この場合には外形的にも入札、開札の手続の行なわれていることが認められるから、指名競争入札手続の存在したことは一層明らかに認められる。その公正が害されたのは、関係被告人らの判示のような談合の結果に外ならない。」と説示して、被告人武井を初め原審相被告人佐野要助ら本件関係被告人及び当弁護人の主張する、本件毛布購入契約締結の方式が随意契約の方式によつたものであつて、指名競争入札の結果、右契約が締結されたものではないとする主張を排斥したのである。

(一) 原審の右判断は外形的にも入札、開札の手続が行なわれたと説示して、本件毛布購入手続は指名競争入札手続によつて購入契約を締結したと謂うのであつて、唯其の入札手続は「形式的、実質的に極めて公正を欠く方法が行なわれた」と論ずるのである。

然し本件の場合、公正を欠いた指名競争入札とは何を云うのであるか、之を原審判決について見るならば「指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して、実質的に指名競争を有名無実ならしめたとしてもその手続が指名競争入札であることに変りがない。」との説示によつて、明らかにされた、実質的に有名無実な指名競争入札を指称するものと理解する。

然しながら「実質的に有名無実な指名競争入札」とは法律上如何なる契約締結方式を指称するものであるか之を了解するに苦しむものである。思うに入札は、入札施行者において、複数の応札者の自由なる競争の下に表示される契約内容の中から、自己に最も有利な条件を以つて入札した者を選択し、この者を相手方として契約を締結する自由が存在するものである。換言すれば、入札においては、応札者間の自由競争と、入札施行者が複数の応札者の中から自己に有利な条件を示す者を発見して之と契約を締結する自由が存在することを要件とするのである。

而して本件の場合は「指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して、実質的に指名競争入札を有名無実ならしめた」と論ずるのであるから、応札者相互の間の競争の自由は勿論入札施行者が自己に有利な条件を示した入札者との間に契約を締結する自由の存在しないことは明らかである。従つて本件の場合には指名競争入札が存在したと云うことができない。原審が有名無実の指名競争入札と云うのは蓋しこの不存在の指名競争入札を指すものと理解する。

然らば、原審の云うが如き「指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して実質的に指名競争を有名無実ならしめたとしてもその手続が指名競争入札であることには変りがない。(中畧)形式的、実質的に極めて公正を欠く方法で行なわれたものではあるが指名競争入札手続はそれにしてもなお存在したものと解しなければならない。」との見解は、指名競争入札の不存在を説示しながらも、なお且指名競争入札手続の存在を強調するものであつて、首尾一貫せざる矛盾した説示であると断定せざるを得ない。

而して原審の斯る誤つた理論構成の下に本件毛布購入手続は指名競争入札によつて施行されたと断じて有罪の認定を為したのであるから、原判決第五(イ)の談合の事実の認定には理由のくいちがいがあることが明らかである。

(二) 又談合は公の競売又は入札において、競争者が互に通謀して或る特定の者をして契約者たらしめるため、他の者は一定の価額以下又は以上に入札し又は附値をしないことを協定することであることは判例もこれを認め(昭和一九年四月二八日大審院判決、昭和二八年一二月一〇日第一小法廷決定)ており、学説亦同様に定義している。而も談合の罪は其の協定をすることによつて直ちに成立し、それ以上の何等の行動を必要とするものでないことは、右に挙げた第一小法廷決定によつて明らかである。即ち談合は応札者たる所謂部外の者の相互の間の協定を指称するものである。従つて入札施行者乃至はその補助機関である入札事務担当者が、部外の者と相謀つて特定の者をして契約者たらしめるために、前掲の如き協定を為したる場合には、刑法に謂う談合には該当せぬものであると断ずることができる。

然るに原審は「指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して実質的に指名競争を有名無実ならしめたとしてもその手続が指名競争入札であることに変りがない」と説示し、指名競争入札の存在を前提として、右通謀を以つて談合に該当する協定と判断しておるものと認められるが、斯る判断は前記大審院判決、最高裁判所決定の趣旨に相反するものであつて、刑法第九六条ノ三第二項の解釈を誤つた結果、斯る理由のくいちがいを招来したものと謂わざるを得ない。

従つて又、「その公正が害されたのは関係被告人らの判示のような談合の結果に外ならない」との説示は、右に挙げた「吏員の一部が外部の者と通謀して云々」との説示を論外に置いた見解であり、その内容において、相矛盾するものであり、理由のくいちがいと信ずるものである。

以上論述したるが如く、元来本件は無罪たるべき案件であるにも拘らず、之を有罪と認定せんが為に招いた理由のくいちがいであるから、原審判決を破棄の上無罪の判決を求める。

第二点原判決は法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

即ち原判決は刑法第九六条ノ三第二項の解釈を誤り本件に対して、同法条を適用して有罪の言渡を為したる違法が存在する。以下その理由を述べる。

(一) 原判決は弁護人の主張に対する判断の項第一の後段において、「本件判示第五の談合の事実についても関係弁護人らは、本件毛布の購入につき指名競争入札は存在しないと主張しているがこの主張の理由のないことは、上に述べたところから明らかである。特に、この場合には外形的にも入札、開札の手続の行なわれていることが認められるから、指名競争入札手続の存在したことは一層明らかに認められる。」と説示し、右に謂う「上に述べたところ」とは、前段における指名競争入札の形式は仮装されたものにすぎないから犯罪の客体となるべき公の入札が存在しないとなす、弁護人の主張に対する判断「東京都の行なう指名競争入札或いは随意契約は、一つの法律的手続であるから一定の売却につきそのいずれによつて処理されたかは権限ある部局長がどのような決定をしたか、実際の手続がどのような形式に従つて行なわれたかを客観的に考察して判断すべきである。従つて指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して実質的に指名競争を有名無実ならしめたとしても、その手続が指名競争入札であることにはかわりがない。(中畧)形式的、実質的に極めて公正を欠く方法で行なわれたものではあるが、指名競争入札手続はそれにしてもなお存在したものと解しなければならない。」との説示を指称するものと考える。即ち原審は、指名競争入札手続の事務を担当する吏員の一部の者が部外者と通謀して指名競争を有名無実になした場合でも、購入事務処理の権限を与えられた東京都の部局の長が、当該購入事務について指名競争入札手続によるべき旨の決定を為した以上は、指名競争入札が実施されたのであつて指名競争入札の存在を指定することができないと判示したのである。然しながら

(二) 組織体の行為或いは意思は、当該組織体の機関が、補助機関の補佐によつて構成するものであつて、特段の事情のない限り補助機関の行為或は意思そのものが、機関の決裁という形式によつて、組織体の行為あるいは意思となることは、組織体の性質上自明の理であると謂わねばならぬ。

本件の場合にあつては、毛布購入の事務を担当した東京都財務局長なる機関が為した本件毛布を購入する意思の決定は同局長の補助機関である同局経理部長、同局用品課長同用品課所属吏員なる一連の命令系統に属する吏員の意思決定なる事実の補佐によつて行なわれたものである。

而して、本件毛布購入については、あらかじめ丸一株式会社(以下丸一と畧称する)から購入することが既定の事実であつて、このことは、右補助機関たる同局経理部長、同局用品課長、同用品課所属吏員において決定しておつた事実である。即ち右補助機関たる各吏員は丸一より購入することを決定しておつたのであるから、その契約締結の方式は随意契約の方式によるものであつたことは多言を要せぬ事実である。従つて、東京都が本件毛布購入の契約締結方式は随意契約によつたものであると論断することができる。而して本件毛布購入契約の相手方を丸一と予め決定していた事実は証拠上明白である。即ち、被告人武井の原審第一八回公判における「当時経理部長の斎藤氏の所で、民生局から災害用の毛布が出て来るんだが(中畧)丸一がやることになつたから、丸一をとにかくやるように野秋の方に話を通しておいてくれといつて、斎藤経理部長にそお話しまして、斎藤部長はじやあ云つておくから、野秋の方にもそおいう趣旨を云つてくれというので、野秋の所へ行つたわけです」「それは入札の二十日位前じやないかと思います」なる旨の供述、「野秋用品課長が、これだけの業者がどうもむこうから推薦されてきたんだけれども、この業者で形はこおしてあるんだけれども、丸一がどうせとるんだけれども云々」なる旨の供述、相被告人田村忠義に対する昭和三〇年六月二二日附検察官調書中渡辺民生局総務部長の言として「自分の方に権限はないが善処はする、話は財務局の方へ通して推薦してやるが、丸一を入れるにしても丸一一人だけを推薦するわけにいかないから、仲間の業者も併せて推薦するようにすればいい」なる旨の供述記載、同民生局保護部長関岡賢一に対する昭和三〇年八月一一日附検察官調書中「一〇月になつてと思いますが、議会事務局の出口の辺りで、斎藤経理部長と会つたところ、同氏はあの毛布は君の方でヒモ付きにしてしまつて困るじやないかと申しました。私はとんでもない、君の方でやつたことじやあないかと云つてやりました。すると斎藤氏はあれは緊急でもないようだから買わなくともいいのじやないかと云うので、そんなわけには行かないと云つて別れたことでした」なる旨の供述記載相被告人田村の原審第二五回公判における「この事件で勝さんが一番先きに引つ張られたと思いますが、その一、二日前野秋契約課長と有楽町の喫茶店あたりで一回位会つておると思うのですが、(中畧)『この件でお茶一杯御馳走になつていないのだからな』と野秋課長から話があり云々」の供述を綜合するならば、本件毛布の購入契約の相手方が丸一と決定していた事実は極めて明白である。

而も契約相手方を丸一と決定した時期は、入札事務担当者村田登が「毛布五千枚購入について」なる原議案を起案した昭和二九年一〇月一九日及び本件指名競争入札が行なわれたと云う同月二〇日より以前であることは、右に摘示した被告人武井の原審公判の供述及び関岡賢一の検察官調書の供述記載によつても之を認めるに十分である。

即ち原判決が「昭和二九年一〇月二〇日東京都財務局において、同都民生局の要求による災害救助備蓄用ねずみ色毛布五千枚購入の契約のための指名競争入札が施行されたが云々」と認定した、昭和二九年一〇月二〇日以前において、東京都財務局は既に随意契約の方式によつて、丸一より本件毛布を購入する意思を決定しておつたことを立証するに足る。

(三) 原判決は、本件毛布購入については昭和二九年一〇月二〇日指名競争入札が行なわれたとの前提に立脚して、本件談合の事実を有罪と認定し、本件については、外形的にも入札、開札の手続が行なわれているから、指名競争入札手続の存在したことは一層明らかであると断ずるのであるが、東京都契約事務規則によれば、東京都は物品の購入契約の方式としては、一般競争入札、指名競争入札及び随意契約の三方式のいずれかによることを定めているのであつて、一般競争入札、指名競争入札のいずれを問わず、入札方式のみを以つて、契約方式を定めているものではなく、又入札方式によるべき場合に随意契約の方式による契約の締結を禁止したものではない。

即ち財務局長の補助機関である同局所属の前掲吏員が、予め本件毛布の購入先を丸一と決定したこと、換言すれば丸一を相手方として随意契約の方式によつて、本件毛布の購入を決定したことは何等契約方式に違反する処はない。而して機関の意思は一個の取引に一つあつて、二つはない。既に機関としては丸一を相手方とする随意契約の方式によつて本件毛布購入の意思を決定したのであるから、更に此の意思と相容れない指名競争入札の方式による契約締結の意思を有したりと為すことは絶対にできないのである。然るに原判決が本件につき、指名競争入札手続が行なわれたこと、而も外形的に入札、開札の手続が行なわれたことによつて、右入札手続が実施されたことが明らかであり、本件毛布購入契約は右指名競争入札の手続を経て、締結されたと認定するのは、財務局なる東京都の機関が既往において、契約締結の方式として随意契約の方式によることを決定しておつたという機関の意思決定の事実を無視したる判断であると断ぜざるを得ない。

(四) 又原判決が説示する「外形的にも入札、開札の手続が行なわれている」との説明は、本件契約方式が指名競争入札によるものであることの論拠にはならないものと確信する。即ち、本件について入札、開札の手続が行なわれた事実はあえて争わぬ。然しながら、右入札、開札の手続は、契約締結方式としての入札であり、開札であるとは到底認容することができない。その理由は蓋し、原判決が云うが如く「外形的」に過ぎないからであつて、法律上の入札手続における入札開札では、本質的に相違する仮装の入札であり、開札であるからである。

(五) 元来入札制度は、先にも論じた通り、一般競争入札たると、指名競争入札たるとを問わず、契約の内容について多数人を競争させ、そのうち尤も有利な内容を表示する者を発見して、これを契約の相手方として契約を締結する契約方法である。従つて入札と称する場合には、入札施行者において、応札者をして自由に競争させ開札の結果、尤も有利な内容を表示した者を選んで、この者と契約を締結する撰択の自由が存在するのである。これを換言すれば、入札施行者においてかゝる選択の自由を放棄した入札というものは、契約の締結方式としては存在しないのである。蓋しこの場合は入札施行者において、入札の方法による契約の申込をする意思がないからである。

従つて原判決がいうが如き「指名競争入札手続にたずさわる吏員の一部が外部の者と通謀して、実質的に指名競争を有名無実ならしめた」場合には、この手続をさして、入札ということができず、又法律上の開札というものは存在せず更に入札、開札、落札者の決定という一連の手続を経た契約の締結は存在しないのである。然るに原審は本件毛布購入手続は指名競争入札によつて契約を締結したりとなして、右指名競争入札の存在を肯定し、これを前提として有罪の認定をなしたのであるから、入札に関する法理の解釈を誤つたことが明らかである。

叙上の如く、本件については、予め丸一を相手方とする随意契約による契約締結が先行しているのであるから、之と相容れない指名競争入札が施行されたと判断するのは原審の誤判である。然るに本件について、指名競争入札の存在を前提として、刑法第九六条ノ三第二項を適用して処断したことは、右法令の適用を誤つたものである。即ち、随意契約の場合には談合罪は成立しないのであるから、本件には右法令の適用がなく、従つて無罪であるべきにも拘らず、右法令を適用して有罪の認定を為し、刑の言渡を為したのであるから、右法令の適用の誤りは明らかに判決に影響のある場合であつて、原判決は破棄を免れぬものと信ずる。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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